「いっ……い加減にしろよ、有坂。今日、こそ、お、お前、を、……逮捕してやるから、……なっ……!」
「刑事さん、息、上がってますよ?」
有坂清春、性別、男。
年齢は二十七歳。職業、広告代理店勤務、というのが正式な肩書きらしいがそれも過去のデータで確かなものとは言えない。身長は百八十オーバー、混血なのだかクォーターなのだか知らないが、西洋人くさい顔つきで鼻も高い。日本人のものとは違う柔らかい黒の髪は天然パーマなのか癖っ毛なのか、常にあちこちに跳ねている。が、それが汚らしく見えないのがこの男の嫌味なところである。
「少し休憩しましょうか。自販機、ありますよ」
「ふざっ……ふざけるなよ……おまえ、今自分が、どんな……立場か、わかってるのか」
「はい。刑事さんに追われて、今、ちょっと休憩中です」
真冬だというのに自分は汗をかいていて、額にまとわりつく前髪がうっとうしい。膝に手を突いて、なんてまぬけな姿なんだ。対する有坂は、息も上がっていないし、もちろん汗もかいていない。どういうことだ。
これでも私は警察学校をそれなりに好成績で卒業したんだ。勿論体力には自信があるし、持久力に関して言えば高校までマラソン選手をやっていた。いくら現役当時より年を食っているとは言え、今は今でジムにトレーニングに金をかけてるんだ。そもそも現場仕事の刑事が体力不足だなんて恥もいいところだ。
その私が、どうしてこんな、息も絶え絶えになりながら犯罪者に心配されなければならないのか。全く持って疑問だ。不愉快だ。それもこれもこの顔ばっかりいい有坂清春のせいだ!
がこん、という音が聞こえて顔を上げた。見ればその先で、有坂が自販機の口に手を突っ込んでいる。とっさに、奴が逃げる気がして慌てて体を起こした。
「貴様! 動くなよ!」
「今時、きさま! なんていうのは銭形警部くらいですよ。はい、どうぞ。コーヒーでよかったですか?」
だが奴は缶コーヒーを二本手にして戻ってきた。そのうちの一本を私の顔の前に出して、人好きしそうな笑顔で話しかけてくる。やはりふざけているとしか思えない。
私は手錠を出して、缶コーヒーを出した有坂の手首めがけてその銀色の輪を振りおろした。有坂は抵抗することも、今度は逃げることもなかった。
これで三度目。そうとも私は過去二回に及んで有坂に手錠をかけものの、過去二回とも取り逃がした。原因は、この男の言葉巧みな話術にある。嘘八百の絵空事にほだされ、隙をつかれ、……とにかく結果は取り逃がした。
どれほど無能なんだ。どれほど使えない人間なんだ。というか、ふつうはあり得ない。犯人に手錠までかけておいて逃げられるなんて、前代未聞もいいところだ。
眼前にいながら、悠々と逃げられてしまった私への叱責は厳しく、上司の温情というものにも限界が来ていることはよく分かっていた。仏の顔も三度まで、だ。今回逃がしてしまったら、私の刑事人生は終わりだ、確実に。ここまで苦労してきたのに、こんなしょうもない犯罪者に私の人生まで狂わされてたまるか。
有坂清春は犯罪者だ。
罪状は、結婚詐欺。
過去九度に渡って、身分を偽り、女性との結婚を繰り返している。訴えを申し出た最初の被害者である女性は、現在五十も半ばになろうかという都内の金持ちだった。
有坂は言葉巧みに女性をだまし、結婚まで持ち込んだ後、財産や家財など金目の物を盗み取り、ぱったりと行方をくらます。時には何も盗まなかった事もあるようだが、結婚に行き着くまで女性たちがこの男に使い込んだという総額を聞いた時に、私は卒倒するかと思った。よくは知らないが、ホストクラブだか何かに行かなければ使えないのではないか、という額だったのだ。
勿論、有坂はホストではないし、ただの広告代理店勤務の優男だ。経歴上は。だが、そんなただのサラリーマンに貢ぐという女たちも女たちである。確かにこいつは顔はいいかもしれない、顔は。それにしたって、いくらなんでも使っていい金額というものがある。
「午後二時十七分、被疑者確保。……有坂清春、お前を逮捕する。署までご同行願おうか」
「それより刑事さん、ご同行はいいですけど、これ」
「はあ!?」
「コーヒー。せっかく買ったんですから、そこのベンチで飲んでいくくらい良いでしょう。俺はもう手錠でお縄についたわけですから、逃げませんよ」
私の心中で繰り広げられる憤りを余所に、有坂は手錠のかかった両手を軽く持ち上げて、公園の片隅にあるベンチを指さした。そして、私の反応を待たずに「いい天気ですねえ」なんて言いながら、のらくらと歩いて行く。
「勝手に動くな!」
「そんなに怒鳴らなくても聞こえていますよ。はい、どうぞ」
有坂はベンチに座ると、子供のように目を丸くして私を見上げてきた。そうして再度、奴が自分で買った缶コーヒーを私に差し出してくる。その様子はまるで犯罪者とは思えない、例えるなら年不相応にも、大学生かそこらの若者のような仕草に見えた。仮にも結婚経験あるだろう、お前。
「……飲んだら行くぞ」
「はい」
かしゅ、という音を立てて缶コーヒーのタブを開けた。有坂は私が飲んだことを確認すると、自分も同じように開けて口へ運ぶ。
有坂という男は、一見して犯罪者になど見えない。人は見かけによらない、という文句をそのまま具現化したような男だった。日本人離れした風貌、優しげで穏やかな雰囲気。口調も柔らかく、人当たりに至っては刑事相手でも崩さない。今はジーンズにパーカーという服装だが、フォーマルなスーツでも着れば様になるだろう。女性にもてるのも頷ける。
だが、『人は見かけによらない』のだ。
いかに外見が良くとも、犯罪は犯罪だ。よりによって、結婚詐欺。金品をだまし取り、行方をくらまし、それを幾度となく繰り返す。
この男の口から、嘘やでたらめが飛び出し、多くの女性が不幸な目にあったと考えると、それは決して許されることではない。
有坂は缶を傾けながら、ぼうっと空を眺めていた。
空には雲が長く尾を引いてあって、それがどこから始まってどこで途切れているかは分からない。確かに奴の言うとおりいい天気だったが、少し肌寒くもある。汗が収まった体は急に冷えてきていたが、有坂の買った缶コーヒーのせいか手は温かかった。
「お前」
「はい? なんですか?」
「何故、お前はこんなことしてる」
私は手に持った缶と、足下にある地面の境目を探すように顎を引いて言った。有坂という犯罪者を追って久しいが、こういった疑問を口にするのは初めてだった。
有坂とてそれは同じだろう。私から、私でなくとも他の刑事からだって同様の質問をされたことはないはずだった。奴がそれをされるのは、然るべき場所、然るべき時間帯がある。どうせ最初に聴取を行うのだ。わざわざ私が、このタイミングで聞かなくても良いことだった。
それでも口にしたのは、この男の、およそ外見からでは似つかわしくない結婚詐欺という犯罪に興味を覚えたからだった。
興味。
犯罪者相手に、その犯罪内容に、興味。
これは職業病なのか、単なる好奇心なのか。どちらにしても、あまり良い趣味だとは言えない。私は刑事、警察官であって、学者ではないのだ。勿論、プロファイリングだ心理検証だというものは知っていたが、専門でもない。ただの好奇心だ。好奇心は猫をも殺す。
だから私は、これは単なる時間稼ぎの質問にすぎないのだと自分に言い聞かせた。缶コーヒーが空になるまでの間の、場つなぎだ。
「え? ……ははっ、いえ、そんな大した理由はないんですよ」
有坂は目を丸くした後に、ぷっと吹き出して笑った。その笑い方が妙に子供っぽく、はにかむような顔をしているから珍妙だ。ますますもって犯罪者らしくない。が、これすらも演技だという可能性もある。なんといっても、奴は詐欺で塗り固められた男なのだから。
「大した理由はないだと? ……よくそんなことが言えるな。あまり下手なことをしゃべると、後々後悔するのはお前だぞ有坂」
「それは脅しですか?」
「事実だ」
「だって、本当に大したものじゃないんです。ただ、結果としてそれが、彼女たちを騙すことになってしまっただけで……」
胡散臭い。
胡散臭い有坂は、なおも笑って続ける。自分の手首にかかった手錠を、まるできれいなものでも扱うように見ながら、私に顔を向けた。その笑い方は、クリスマスにおもちゃをもらった子供の笑顔のようで、邪気がない。
秘密をこっそり打ち明けるかのような小さな囁く声で、有坂は言った。
その囁きは、まるで理解できない未知の言葉だったが。
「女の子に、結婚してください、と言った時や、きれいな指輪を細い左手の薬指にはめてあげたときの、あの大変美しくきらきらした笑顔が、僕は好きなんですよ。それが見たくて、ついつい、結婚したくなるんです」
「……は?」
「ね、大したことじゃあないでしょう?」
小説の台詞じみた言い回しに、私は奴の倍以上の声量で間抜けな声を出した。は? こいつは今、なんと言った? 私には理解不能な言語で、理解不能な理屈を言ったように聞こえたが、まさか本気じゃないだろうな。
私は相当しかめた面をしていただろう。自分でも眉がよってると分かるほどだ。しかし分かったところで、有坂の言った意味はまったく分からない。
「そんな理由で?」
「はい」
「そんな理由でお前は九人もの女性を騙して、あげく金品まで奪い、のうのうと犯罪を繰り返していたのか?」
「のうのうだなんて。俺だって、別れるときはつらいんです。でも、やっぱり、あの一瞬のきれいな輝きは、あの時しか得られないでしょう。たった一人のあなたのために、愛すると誓って、その誓いを指にはめてあげる。大変、美しくて繊細で、俺は大好きです。何度でも見たくなる。まさに魔力ですね」
私は大きく脱力した。有坂の口から紡がれるそれは、やはり小説か何かの台詞じみたものだったけれど、理解どころか理解を通り越して寒気がした。なんて男なんだ。
一瞬の輝き? 芸術品に求めるようなそれだろうか? だが奴が騙したのはれっきとした女性たちで、彼女たちは彼女たちなりにこの男を真剣に愛し、結婚しようと決意し、奴の誓いとやらに頷いたのではないのか。少なくとも、私がこの耳で事情を聞いた人々は皆そうだった。愛していたから、騙されたのが信じられないと。出来るものなら、戻ってきてくれたっていいと。そうまでして犯罪者を愛せるのかと、私は彼女たちの言い分も理解は出来なかったのだが、こいつは相当だ。最も理解出来ない。否、したくない。
「……ああそうか、分かった。聞いた私が間抜けだったな。飲んだな、よし行くぞさっさとお前をブタ箱に放り込んでやる」
「だから、今時ブタ箱だなんて言わないんじゃないですか? 刑事さん、もしかして太陽にほえろとかのファンでした?」
「貴様にそんなこと関係ないだろ! さっさと立て!」
「はい」
私の催促に従って、有坂は立ち上がった。手錠のかかった両手は腹の辺りに下げて、抵抗する素振りはない。有坂は立って私と並ぶと、裕に10センチは背が高く、私は見上げなければならなかった。面倒な奴だ。
私は携帯電話を取り出した。一緒に捜索をしていた同僚の刑事に向けて、ダイヤルを押す。
「あ、そうだ、刑事さん」
「なんだ。今電話中だ」
「あのですね」
「もしもし、佐野です。先ほど被疑者を確保しました。大通り近くの共栄公園で」
その時だった。
有坂は手を伸ばし、私の手に触れた。携帯電話を持った左手に、有坂の長い指と、冷たい手錠の感触がぶつかる。
なんだ、と目を向けた私を無視して、有坂は携帯電話を取った。するりと丁寧に、無理に奪うのではなくごく自然な動作で取り上げると、『切断』ボタンを押した。
「あー!?」
プツッ、という音が受話器越しに聞こえる。ツー、ツー、ツーと、無機質に繰り返された回線音は、数秒もしないうちに消えた。あっと言う間に。あっと言う間に、有坂は自分のパーカーのポケットへ携帯電話をしまい込むと、私に向き直ってきた。
「貴様っ!! 返せなにした今!? 公務執行妨害だぞ!」
「茉莉香さん」
「ああ!?」
有坂が私を呼んだ。佐野、ではなく、下の名前の方を。
その名前で呼ばれることはあまりない。そもそも署内でそこまで親しくしている者などいないし、我々は大人だ。学生の付き合いではなく、公務が常である身にとっては名前で呼びあう仲は原則作らない。友達ではないのだ。
だから、呼ばれたその名前が私のものであると、私は一瞬分からなかった。
その一瞬の間に、間を詰められる。
「なんだお前、急に態度がでかくなっ」
「茉莉香さんの口が悪いのも、わざとそういう態度なのも、俺は好きです。背が高くて男っぽいのがコンプレックスだっていうのも、分かってます。でも、茉莉香さんはとってもきれいです」
「……はあ……?」
有坂は穏やかな笑みを浮かべると、私の手を取った。携帯電話を取った時より、もっと丁寧で恭しい、言ってみれば優しい手つきで、私の左手を取った。
「今は指輪がありませんが、いつか必ず用意します。きちんと、俺が稼いだお金で。俺が犯罪者でなくなる日を待っててくださったら、必ず迎えに行きます、茉莉香さん。俺と、結婚してください」
有坂清春は犯罪者だ。
罪状は、結婚詐欺。
過去九度に渡って、身分を偽り、女性との結婚を繰り返している。言葉巧みに人を騙し、金品を奪い、最低で劣悪な人間だ、犯罪者だ。
私は信じないぞ。絶対、こんな男となんて……こんな優男の甘言に誰が、死んだって唆されるか!
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最後しりきれたすいません 有坂みたいな奴は書いてて疲れます
あと少し修正(20120123)読み返してみたけどあんまりおもろくないなあ